約900 年の歴史をかかえ、私達はよいワインを作らなければならない。


416年  フレスケルの川岸領域を支配していた、優雅で非常に裕福なガロ ロマンの館の跡が、現在のパレロングである。

508年 クロビスはカルカッソンヌを攻囲する準備をフレスケルの川岸沿いにて行う。籠城軍はパレロングの土地から、プノチエ村の東方へ退去する。

592年 ブルゴンデスの王ゴントランは、ヴィジゴットとの戦いに敗れ、パレロングのガロ ロマンの館から退去する。


1111年 オードゥの記録保管所にある羊皮紙には、パレロングの小修道院が初めて、ノートルダム (エクレジア ベアット マリー ド パリエッテ ロンゴ) に捧げられたと記載されている。こうして約120ヘクタールという面積は変えられることなく現在に至る。

1126年  司教の権威により、上記の決定が行使され続けられることになる。

1265年 カルカッソンヌの王侯の家令によって、カルカッソンヌの判事のB. ド プノチエは、王によく仕えた褒美として、パレロングを耕すために2頭1組の牛を与えられる。

1347年 レクトール ド パリエッテロンゴ の候補にあがる。

1522 年 憲兵隊隊長のエリ ド クロットがカルカッソンヌの教会参事会員となる。

1580年  1580年5月11日、ジャンヌ ド ボワイエとギオーム ド ロックの息子でありカルカッソンヌ裁判所議員のフランソワ ド ロットは、叔父のピエール ド ボワイエより相続を受ける。
1623 年 ピエール コルシエはパレロングの修道院長となる。

1648 年マルタン ド シャルモワはパレロングの領主および王の助言者となる。

1697年シャルル アレクサンドル ド シャルモワは大叔父についでカルカッソンヌの義勇軍の陸軍大佐となる。

 1729年 シャルル アレクサンドル ド シャルモワはパレロングの財産相続人となる。

 1756年 M. ド ニグリはシャルモワ の娘と
結婚し、パレロングの領主となる。

1787年 M. ド ベナバンは 
ニグリ の娘との結婚により後継者となる。

1789年  革命のときはまだ教会のなごりは残っており、カトリックの豊熟祈願(昇天祭の前の3日間)の行列が行われた。

1819年カステル兄弟は、カルカッソンヌの公証人ルスティの公証によリベナバン家の後継者となる。 

1821年 現在のワイン倉庫であるシャトーが建設され、1869年に完成する。

1926年 ウージェン カステルによって威厳のあるガロ ロマンの館の土台が発見される。中心となる部屋には大理石による繊細なモザイクの敷石が施されている。


1998年
 パレロングのカステル兄弟の子孫であり、カステル生まれのアンヌ ド ギネステット−プイベルのあとを、ヌマ、セザール、シピオンそしてクレオパトル オジアスが継ぎ現在に至る。彼らの父方の祖母が持っていた隣のブドウ畑ヴィルデュベルも合併する。